| がん細胞はどこから?(幹細胞起源説) |
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幹細胞は非常にゆっくりと増殖しているということをお話した。組織幹細胞は通常は増殖をほとんどおこなわずじっとしている(この状態をドーマント【dormant:英語の「休止中」などを意味する単語】と呼ぶ)が、発生の特定の時期、組織が損傷を受けた緊急時などに必要に応じて増殖を始める。 がん幹細胞説は、がんが幹細胞様の細胞に起源があるのではないかという考え方で、数年前にこの考えを実験的に支持する論文が発表され、現在最もホットな話題のひとつになっている。がん幹細胞説は、がんあるいは幹細胞を研究している者にとって興味深い仮説であるのみならず、治療という面からも重要な要因を含んでいる。すなわちこのことは増殖しているがん細胞を選択的に抗がん剤などで殺しても、実はゆっくり増殖している幹細胞が生き残っていて、その存在が転移などにつながるのではないか、という仮説を示唆するものである。増殖細胞を主なる標的としているがん治療について、再検討の必要性を提議する。しかし、この考えはまだ基礎研究における仮説であり、この仮説のどこまでが、実際のがんのどのような病態にあてはまるのか、それとも実験的に示されただけにすぎないのかはこれから検証されていくということをまずお断りしておく。
がん幹細胞説
がん細胞は幹細胞が起源ではないか、という考えはここ数年興味が集中しているが、実はすでに19世紀なかばに病理学者によって、胎児の組織とがんの組織を比較すると類似している、ということが指摘されていた。その後この考えは、成人するまで残っているドーマントな胎児組織が何らかの要因で増殖能を獲得するのががんである、とする「embryonal rest」説として提唱された。そして今から40年ほど前に、血液幹細胞、すなわち成体幹細胞の存在が先に述べたTillらにより示唆されるとともに、組織特異的な幹細胞ががん細胞の起源である、という考えに発展するのである。そしてその後の様々な実験系により、がん細胞は何らかの要因で分化を停止した組織幹細胞であるという説が提唱された。またがん細胞の一部の細胞のみが強い増殖能をもっているという試験管内での実験結果は、同一の細胞から派生したにもかかわらず、がん細胞はすべて一様ではなくその中に幹細胞様の細胞がいることを予想させるものであった。 しかし、これらの実験はいずれも試験管内の実験系であり、がん幹細胞説は近年の幹細胞研究の進展まで仮説のままでいた。幹細胞の性質についての研究が進むにつれ、自己複製をする、分化能がある、細胞死を抑制する経路が活性化されていることが多い、細胞膜の輸送系が活性化されている、足場に依存せずに細胞増殖できる、などの様々な特徴を幹細胞とがん細胞は共有していることがあきらかになってきた。
幹細胞と環境
近年、Stem cell niche(ニッチ)と呼ばれる言葉をよく耳にする。Nicheとは英語でもともと壁龕(へきがん)という聖像や花瓶などをおく壁のへこみをさし、ひいては(人・ものに)適した場所(研究社新英和辞典)を指すということであるが、幹細胞が存在する周囲の微少な環境の重要性が指摘され、この環境をニッチと呼ぶようになった。幹細胞は通常はドーマントな状態であるが、必要に応じて増殖し自己複製したり同時に分化をしたりする。この制御は、幹細胞が存在する環境がおこなっていると考えるのが自然である。ホルモン、インターフェロンなどの生体内物質について耳にすることがあると思うが、体にはもっと近距離で作用する分子(細胞外シグナル伝達分子とも呼ばれる)が存在する。これらの分子は細胞から産生され、自分自身、あるいは隣接した細胞に作用して増殖や分化を誘導する。幹細胞が自分自身でこれらの物質を分泌し、一方で幹細胞の環境を構成する細胞が、これらの分子を分泌して幹細胞に作用することが知られている。このような周囲の環境を形成する細胞がシグナル分子を介して幹細胞をドーマントに保ったり、増殖のフェーズに移行させたり、あるいは分化を促したり、という作用で制御していると考えられている。一方でこれらの分子の変異が、がん細胞においてしばしば観察されている。すなわち、幹細胞の制御の場であるニッチも、幹細胞がどのようにして通常の制御をはずれ、がん化していったのかを説明する重要な役者であることがわかってきた。
がん幹細胞の個体での証明
がん幹細胞の存在を試験管内ではなく、個体をつかった研究ではじめて示唆したのはやはり血液の世界であった。1997年にカナダのグループが慢性骨髄性白血病細胞について特殊なマウスを使った系で、ひとつの細胞からの増殖能を検討し、がんの中のごく一部の集団ががん幹細胞のような性質を示すこと、またその表面抗原が血液プロジェニター細胞と類似したパターンだったことが示された。このような細胞は白血病細胞の中の1万個に一個であったという。この細胞を移植するとマウスは白血病を発症したのに対し、この細胞の特徴をもたない白血病細胞は、何千倍もの数を移植してもマウスは白血病を発症しなかった。さらに続く仕事でこのグループはこのがん幹細胞と思われる細胞群が均一ではなく、様々な程度の増殖能をもつことを示した。このことは通常の幹細胞にヒエラルキーがあるように、がん幹細胞も発生学的に制御されるヒエラルキーがあり、転移能をもつのはより未分化な一部の細胞、すなわちがん幹細胞であるということを示唆するものである。この発見は、白血病とは血液幹細胞ががん化することにより起こる、という仮説を支持するものであった。現在ではヒトの乳がん、肝臓がんなどでも同様の実験系からがん幹細胞に相当する細胞が存在することが示唆されている。
がん幹細胞説の意味すること
このようにして、特定の遺伝子の異常がおこれば、がんは様々な細胞におこりうると考えられた時代から、がんは幹細胞あるいはプロジェニター細胞にのみおこりうる現象であり、通常の組織同様にがん組織の中のそのような細胞はごく一部である、という可能性が議論されている。このことは、はじめに述べたように現在のがんに対するアプローチに新たな視点を投入する必要性を示唆している。ひとつは、がんの治療目的として現在は増殖するがん細胞をターゲットとしているが、これに加え、標的を幹細胞に絞ることである。論文によると乳癌のタモキシフェン治療(乳腺の細胞の増殖・分化をうながすホルモンの作用を抑制する薬)はこの目的にあっているだろうとされる。さらにがんに対する医薬品開発の際の評価も、がんの縮小のみを評価基準としたのでは、がん幹細胞に効果があったのかどうかがわからない。がんの転移には先に述べたニッチも関係してくる。さらには現在がん細胞マーカーとしてしられる分子の多くは、分化したがん細胞が出す分子である。本当に怖いのはがんに含まれる幹細胞の数であり、これが分化した細胞数の大小とは関係しないとしたら、がんの大きさで判断するのではなく、そこに含まれるがん幹細胞を見つけだすために幹細胞のマーカーを探すことが重要になる。 以上のように、がん幹細胞説はその存在の証明も日が浅く、まだ研究が緒についたばかりでどこまで普遍的な概念なのかもあきらかではないが、パラダイムシフトともいえる発想の転換が求められる可能性があり、今後の研究の発展が注目されている。
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